夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第一話~

第1話「夢じい、野球に恋した少年時代」

夢じいには、ずっと心の中にしまっていた小さな願いがありました。
それは、「男の子が生まれたら、一緒に野球をやりたい」という夢。
それは単なる親の期待ではなく、夢じい自身の“原体験”に根ざした、切実な願いでもありました。

夢じいが野球に出会ったのは、小学生の頃。
田舎の小さな町で、少年野球チームに入ったのが始まりです。
当時から夢じいは“左利き”で、ポジションの選択肢は自然と限られました。
ファーストかライト。しかも守備は――正直、下手くそ(笑)

でも、打つことだけは誰にも負けなかった


チームのみんながキャッチボールや守備練習に精を出す中、夢じいはひたすらバッティング。
練習時間の9割が打撃練習という極端さに、監督も「こいつに守備は期待してない」と割り切っていた節がありました。

当時の夢じいの頭には、「守備」はなかった。
あるのは「バッティング」のみ。
初球からフルスイング結果はホームランか三振


今思えば、チームの監督やコーチにはずいぶん迷惑をかけていたかもしれません。
でも、「夢じいなら仕方ない」と笑って許してくれた大好きな監督、大好きなチームメイトたち。
勝つ試合も、負ける試合も、夢じいの打撃とエラーが鍵になっていたような、濃い時間でした。

そのとき芽生えた「野球って楽しい!」という気持ちは、夢じいの中にずっと残りました
そして、「いつか自分の息子と、同じユニフォームを着たい」――そう思うようになったのです。

そんな夢が現実になったのは、それから何十年も経ったあと。
二人の息子がともに野球を始めたとき、夢じいは心の中でガッツポーズをしました

でも、選手の父親として応援するだけでは終わりませんでした。
あるとき、次男のチームで「お父さんたちの中で、コーチをしてくれる方いませんか?」と声がかかったのです。
「これはチャンスかもしれない」――そう思った夢じいは、手を挙げました。
コーチとして、ユニフォームに袖を通す日が来たのです。

…とはいえ、夢じいの本当の仕事は「審判」でした(笑)。


というのも、当時の少年野球では、試合が終わったチームの保護者やコーチが次の試合の審判を務めるというルールがありました。
つまり、チームが勝ち進むほど審判の機会も増えるという仕組み。
幸か不幸か(?)、次男のチームは強く、勝ち進むたびに夢じいの“出番”も増えました。
試合が終わると、「夢じいさん、次の審判よろしくお願いしますね」と呼ばれ、
いつの間にか、ベンチよりグラウンドでジャッジする時間のほうが長くなっていたのです。

そして夢じいは――実はちょっと“変わった審判”でした

たとえば、タイミング的にはアウトだけど、スライディングした子がほんの一瞬だけベースから足を離してしまった。
あるいは、明らかにベースを踏み損ねていた――なんて場面でも、夢じいは迷わず「セーフ!」のコール。


守備の選手は「あれ?」と思ったかもしれません。でも、夢じいにはこう見えていたんです。
「この子は、必死に走っていた。そのがんばりに報いたい」――と。

だから夢じいの判定は、ときにルールより“気持ち”が勝っていました。
もちろん、厳密に言えばよくないかもしれません。
でも、子どもたちにとって“野球が楽しかった”と記憶に残るなら、それもひとつの役割だと、今も信じています。

そんなふうに、夢じいはプレーの指導よりも、ベースのそばで子どもたちを見守ることが多かった。
でも、その距離から見える“成長の瞬間”がたくさんありました。

次回は、そんな夢じいが見つめた息子たち、そしてチームの仲間たちの成長の物語をお届けします。

夢じいのひと言:

「野球の技術は、もう教えられないかもしれない。でも、楽しむ心なら、まだまだ伝えられる気がするんや。」

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