カテゴリー: 少年野球コーチ編

少年野球コーチの記録

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第六話~

    第6話「野球は、ちゃんとつながっていた~夢じいと孫の物語~」

    コーチを引退してから25年。思いがけない知らせが夢じいの元に届きました。

    なんと、次男がかつて所属していたあのチームに、夢じいの孫が入部したのです。しかも、あの紺色のユニフォームを着ているのは、長男の娘――つまり、女の子でした。

    夢じいは飛び上がるほど嬉しかった。自分の息子が野球を始めたときと同じ、いやそれ以上の感動を覚えました。

    初孫が生まれたときのことを、ふと思い出します。女の子でした。

    もちろん、息子の子どもですから夢じいが口を出すことではないけれど、「女の子でも、もし野球に興味を持ってくれたら…」と、ひそかに願っていたのです。

    その孫は、小柄で長い髪の女の子。2歳、3歳と成長するにつれて、だんだんとヤンチャになっていきました。親の方針は「子どもは元気に遊ぶのが仕事!」その方針どおり、朝から晩まで遊び倒す毎日。

    やがて、屋根のない“森のようちえん”に入園し、虫やカエルと遊びながら、たくましい女の子へと育っていきました。

    そしてある日、孫が言ったのです。

    「お父さん、お母さん、私、野球がやりたい! いい⁈」

    父親は「やったー!」と大喜び。母親は「えーっ⁉︎ なんでー!?」と戸惑い気味。まさに真逆の反応でしたが、最後は本人の気持ちを尊重し、野球を始めることに。

    その姿を見ながら夢じいは、「あぁ、自分もおじいちゃんになったんだなあ」と、じんわり感じ始めていました。

    ただし――孫は決して上手とは言えません。

    キャッチボールもぎこちなく、バットにボールが当たることもまれ。でも、それがまたいいんです。ボールが当たるだけで「やったー!」と大喜び。ヒットでも打とうものなら、家族そろって万歳三唱。

    遠くからグラウンドで駆け回る孫を応援するその時間は、夢じいにとって何にも代えがたい宝物となりました。

    上手じゃないところは、どうやら夢じい譲り。でも、楽しそうに野球をする姿を見ていると、「野球って、やっぱりいいなあ」と、夢じいはあらためて思いました。

    夢じいの一言:

    「孫が野球を始めるなんて、思ってもみなかった。だけど、あのグラウンドにまた“家族の声”が響くのを聞いたとき、野球はちゃんとつながってるって思えたんです。嬉しくて、涙が出そうでした。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第五話~

    第5話「ヒーローたちへの贈り物——夢じい、涙の卒部式」

    グラウンドに吹く風が、どこか特別に感じられる3月のある日。

    6年生にとって、そして夢じいにとっても、最後の試合の日がやってきました。

    この日、行われたのは「卒部試合」。

    6年生だけが出場できる、特別な公式戦です。

    5年生の中には実力のある子もいましたが、ベンチから声援を送ります——これは伝統的なルールでした。

    だからこそ、6年生たちは最後の一球まで、すべての力を込めて戦いました。

    結果は、優勝。

    最高の形で幕を下ろした試合のあと、グラウンドに少しだけ静かな時間が訪れました。

    卒部式の始まりです。

    監督が一人ひとりの名前を呼び上げ、選手たちはグラブを掲げて返事をする。

    その姿を見守る夢じいにも、この日のために用意してきた“プレゼント”がありました。

    それは、夢じい特製のフォトプレート。

    6年生全員の写真を一つの額にまとめたもので、レギュラーとして活躍した子も、補欠として一瞬だけ出場した子も——全員が等しく輝く瞬間を夢じいが撮影し、収めたものでした。

    夢じいにはこんな願いがありました。

    「卒部式には、全員がヒーローになってほしい」

    だからこそ、補欠の子が守備についた時、打席に立った時、少しのチャンスを懸命に掴もうとする姿を絶対に見逃さないようにしていたのです。

    夢じいにとって、一番シャッターを切る手に力が入ったのは、そういった瞬間でした。

    そしてもちろん、我が家の次男の姿も。

    ある“例の瞬間”をしっかりと捉えたベストショットを選びました。

    プレートの中では、誰もがヒーローに見えました。

    「このバッティング、かっこよかったなあ」

    「この時の守備、最高やったな」

    渡すたびに、子どもたちは少し照れながらも、誇らしげに受け取ってくれました。

    中には親御さんがそっと涙ぐむ場面もあり、夢じいの胸もいっぱいになりました。


    夢じいの野球人生は、いつだって**“打撃のロマン”**でした。

    ダイナミックに振り抜き、打球が空を切り裂く。とにかく「打つことがすべて」だったんです。

    例えるなら、下駄を10枚履かせてもらって言えば、ソフトバンクの山川選手。

    ホームランを夢見る、そんな野球に夢中でした。

    一方、長男はその正反対。無駄のないフォームに、鉄壁の守備。

    地味でも確実にチームを支える、そんな選手。

    これまた下駄を履かせて言えば、西武の源田選手です。

    そして次男はというと——その間を縫うような存在。

    三塁手として難しい打球を落ち着いてさばき、ここぞの場面ではしっかり打ち返す。

    夢じいの中では、巨人の岡本選手のような、勝負強さのある選手でした。

    もちろん、プロ選手とは比べものにならない実力です。

    でも夢じいの心の中では、二人とも間違いなく立派な“プロ選手”でした。

    それぞれの個性を持ちながら、大好きな野球を通じて成長してくれた。

    ——それが、夢じいにとって何よりの誇りだったのです。


    5年生から次男のチームに関わり、2年間一緒に戦ってきた夢じい。

    長男のときは保護者席から声援を送る立場でしたが、次男のときはグラウンドの中で、選手たちと一緒に汗を流しました。

    そしてこの日が、夢じいにとっても**“コーチとしての最終日”**。

    卒部式が終わったあと、こらえていた涙がひとすじ、頬をつたいました。

    それを袖でそっとぬぐいながら、夢じいは思いました。

    ——今日、あの子たち全員が、ヒーローになれた気がする。

    夢じいが残したフォトプレートと涙が、いつか誰かの心に残ればいい。

    そんなふうに願った、ある春の日のことでした。


    夢じいの一言:

    「最後はな、全員がヒーローになってほしかったんや。せめてプレートの中だけでも。——それが夢じいの願いやったんよ。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第四話~

    第4話「僕、サードを守りたい。」

    「僕、サードを守りたい。」

    6年生になる春、監督に聞かれた次男の答えに、夢じいコーチは思わず声を上げてしまいました。

    「えぇーっ⁉️ サード⁉️」

    驚いたのも無理はありません。それまで次男はセンターを守っていました。少年野球では、外野よりも内野の方がはるかに守備の難易度が高い。中でもサードは、速い打球への反応と強い肩、的確な判断力が求められる“ホットコーナー”です。

    しかも、夢じいの次男はというと……まぁ、ぽっちゃり系。いや、正直に言えばまるまる太っていた。動きはどこかのっそりしていて、俊敏さとは無縁。夢じいの心の声は「やめとけー!無理だってー!」と叫んでいました。

    でも、本人がそう言ったのです。それを止める理由も資格も、夢じいにはありませんでした。

    内心では、「まあ、すぐに挫折するだろう」と思っていました。体型も性格も、サードに向いているようには思えなかったのです。

    ところが——。

    数週間も経たないうちに、驚くような変化が現れました。

    正面のゴロは、きっちりと腰を落として処理する。

    少しショート寄りの打球にも、スライディングで飛び込んで止める。

    そして一塁へ、力強く、まっすぐな送球。

    「おぉ……うまいな……」

    自分の息子なのに、夢じいは心から驚かされました。

    もちろん、派手なプレーではありません。でも、ひとつひとつが丁寧で、確実。野球の基本を、真面目に、地道に、積み重ねていることが伝わってくる守備でした。

    夢じいは「派手なファインプレーよりも、確実なプレーにこそ価値がある」と思っています。次男のプレースタイルは、まさにその言葉を体現していました。

    このサードへの挑戦をきっかけに、次男はひとつのギアを上げました。

    仲間たちがふざけ合っている時間も、黙々とノックを受ける。

    「もう一球、お願いします」と自分から監督に声をかける。

    自分の課題に、真正面から向き合い始めたのです。

    そして、その努力は体にも表れてきました。

    あれほど丸かった体が、日々の練習の中で徐々に引き締まっていきました。

    最初はゼイゼイと息を切らせていたダッシュも、フォームが整い、スピードも明らかに速くなっていったのです。

    もちろん、夢じいは何も言いませんでした。

    ただ静かに、横で見守るだけ。

    それでも、次男は一歩ずつ、自分の力で変わっていきました。

    そして迎えた6年生の夏、最後の大会。

    チームは順調に勝ち進み、決勝戦へ。

    試合は一進一退の攻防。最終回、同点のままツーアウト満塁のチャンス。

    バッターボックスには、我が次男。

    「ここで回ってくるか……」

    期待と不安が入り混じる中、夢じいは祈るようにベンチで見守っていました。

    カーン!

    乾いた打球音がグラウンドに響きました。

    ボールは低く鋭く伸びていき、左中間を真っ二つに割りました。

    外野手が追いつけない間に、一人、二人、三人がホームイン。

    そして、次男もヘッドスライディングでホームに滑り込み——

    ランニングホームラン。

    スタンドから大歓声が巻き起こり、仲間たちがベンチから飛び出して次男を迎えました。

    ベースを回るその姿に、夢じいはベンチの隅で、こっそり涙を拭っていました。

    あの「えぇーっ⁉️ サード⁉️」と叫んだ日から始まった小さな挑戦が、ここまでの物語になったことが、ただただ嬉しくて、誇らしかったのです。

    夢じいの一言:

    「自分の背中を、自分で押せる子に育ってくれて、じいは嬉しい。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第三話~

    第3話「帽子もサインもバラバラ!?自由すぎる野球チームに学んだこと」

    長男が入っていた少年野球チームと、次男のチーム。
    同じ「少年野球」とは思えないほど、その世界はまるで別物でした。


    長男が所属していたのは、地元でも有名な強豪チーム。
    スケジュールはびっしり。ユニフォームは全員きっちり揃い、帽子のかぶり方やお辞儀の角度まで決まっていました。整列してグラウンドに入場し、「礼!」の号令で一斉に頭を下げる姿は、まさに「管理野球」。小学生とは思えないほどの緊張感。親としては、正直ちょっと誇らしかったんです。

    ところが次男のときに入ったチームは……
    初めての練習日から、目を疑いました。


    まず、練習着がバラバラ。
    帽子の色もまちまちで、中にはツギハギだらけのシャツを着ている子も。さらに驚いたのは、公式戦のユニフォーム。

    「これ、去年の6年生のやつなんだよ。袖、破れてるけどいいよね?」

    なんて笑ってる子がいて、周りもまったく気にしていない様子。
    監督も、

    「試合中に破れても、お母さんが縫ってくれるから大丈夫だ!」

    と真顔で言うから、思わず吹き出してしまいました。


    礼儀作法?もちろん大事です。でも、このチームでは“自然体”がモットー。

    試合前のお辞儀も、号令はバラバラ、隊列もフリースタイル。でも、子どもたちの顔はとにかく生き生きしていて、「野球って、こんなに自由でいいんだ!」と目からウロコでした。

    練習でも「自分のペース」が尊重されます。
    走り方がちょっと変でも、誰も気にしない。打てなくても怒られない。
    笑いが絶えないグラウンドで、子どもたちは泥だらけになりながら、何度も転び、でも立ち上がって、またボールを追いかけていました。
    そんな姿を見て、私は思いました。「これぞ“泥まみれ上等”だなあ」と。


    そして試合になると……これがまた不思議なんです。
    サインなんて、ほとんど誰も見てない(笑)。

    監督が、

    「サイン出してるんだけどな~……誰も見てねえな~」

    とぼやく横で、バッターはお構いなしにフルスイング。
    ランナーも好きなタイミングで走り出す。それでも、なぜかちゃんと成功する。

    中でも面白かったのは、みんなが盗塁を狙ってる中、うちの次男だけがピクリとも動かない(笑)。
    足が遅いのもあるけど、それ以上に「自分のタイミング」があるらしく、コーチに「行けーっ!」と叫ばれても、のそのそと立ち尽くすばかり。

    見ているこちらはハラハラでしたが、監督やコーチは怒るどころか、

    「まあ、それがアイツの野球だからな」

    と笑って受け止めてくれるんです。


    この“懐の深さ”が、このチームの一番の魅力だと思います。

    上手な子も、そうでない子も、速く走れる子も、マイペースな子も、
    みんなが「チームの一員」として、ちゃんと認められている。
    次男もそんな中で、ゆっくり、でも確実に、野球の楽しさを身につけていったように思います。


    思い返せば、長男のチームは「型にはめて強くなる」ことを目指していました。
    一方で次男のチームは、「その子らしさ」を大切にしていた。

    野球へのアプローチはまったく違いましたが、どちらも子どもにとってはかけがえのない経験だったと思います。

    そして私自身にとっても、この自由すぎる野球チームは、
    “野球の原点”――いや、もっと言えば“遊びの原点”を思い出させてくれた、そんな気がしています。


    夢じいの一言:

    「勝ちたい気持ちも大事。でも、笑って泥だらけになることの方が、ずっと大切な時もあるんだよね。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第二話~

    第2話「息子たち、夢じいの夢を追いかけて」

    夢じいの「いつか息子と一緒に野球をしたい」という長年の夢は、思いのほか自然に叶いました。


    二人の息子は、気づけば夢じいの少年時代と同じように、バットを握り、グローブをはめていました。

    休日になると公園でキャッチボール。時には三角ベース。
    まだ小さな体で投げる球はふらふらでしたが、それでも、夢じいにとっては夢のような時間でした。

    やがて、二人とも本格的に少年野球チームに所属することになります。
    そして、次男が所属していた地元のチームで、ある日コーチの募集がかかりました。

    「チームを支えてくださる保護者の方、いませんか?」

    その言葉に、夢じいの心が動きました。
    あの頃、自分がチームメイトに支えられ、監督に見守られ、思いきりプレーした日々――
    今度は、その“支える側”に回る番が来たのだと。

    ユニフォームに袖を通すと、不思議な気持ちになりました。


    まるで時空を超えて、あの頃の夢じいと今の夢じいがグラウンドで握手したような気分。
    背中に「コーチ」と書かれた文字を、少し誇らしく感じながら、新しい挑戦が始まりました。

    コーチとしての初日。
    夢じいはやや緊張しながら、グラウンドに立っていました。
    「どうやって子どもたちに教えたらいいのか?」
    「自分の野球経験は昔すぎるんじゃないか?」
    そんな不安も正直ありました。

    でも、子どもたちはそんな夢じいの気持ちをよそに、元気いっぱいに走り回っていました。
    「こんにちは!コーチ!」と駆け寄ってくる子たちの笑顔に、夢じいの緊張はすぐにほどけました。

    次第に、夢じいの中にある“昔の感覚”がよみがえってきます。
    あのバッターボックスに立つ高揚感、フルスイングの快感、
    そして、守備でやらかしてしまったときのドキドキ(これはしっかり覚えています…笑)。

    コーチといっても、夢じいの担当は主に「サポート」や「審判」、そして「見守ること」。
    最初から技術指導ができるわけではありませんでしたが、
    練習の準備や球拾い、声かけ、何より“子どもたちの成長を見つめる役”としての役割を全うしました。

    一方で、コーチになって初めて知ったこともあります。
    子どもたちは、思っていた以上に繊細で、まっすぐ。
    試合でミスをした子が、ベンチの隅で悔し涙を流している。
    仲間同士で衝突して、練習後にモヤモヤを抱えている。
    そんな場面にたくさん出会いました。

    夢じいは、そういうときこそ、自分の出番だと思いました。
    そっと隣に座って、声をかける。


    「ミスしてもいい。思いきりやったら、それでええ」
    「ケンカも野球のうちや。けど、仲直りできたらもっとええ」

    そんな言葉が、どこまで届いていたかは分かりません。
    でも、夢じいの言葉にうなずいて、またグラウンドに戻っていく子どもたちの背中に、
    あの頃の夢じい自身を重ねていたのかもしれません。

    そして何より――
    目の前でがんばる息子の姿は、特別でした。

    ユニフォームを着て、打席に立つ。
    守備のミスに悔しがる。
    仲間と笑い、励ましあいながら試合を戦う。
    そのすべてが、夢じいにとっては宝物のような時間でした。

    次回は、そんなグラウンドの日々の中で感じた“野球の原点”をお届けします。

    夢じいの一言:

    「野球も人生もフルスイング!ミスしても、ボール拾ってまた構えたらええんよ。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第一話~

    第1話「夢じい、野球に恋した少年時代」

    夢じいには、ずっと心の中にしまっていた小さな願いがありました。
    それは、「男の子が生まれたら、一緒に野球をやりたい」という夢。
    それは単なる親の期待ではなく、夢じい自身の“原体験”に根ざした、切実な願いでもありました。

    夢じいが野球に出会ったのは、小学生の頃。
    田舎の小さな町で、少年野球チームに入ったのが始まりです。
    当時から夢じいは“左利き”で、ポジションの選択肢は自然と限られました。
    ファーストかライト。しかも守備は――正直、下手くそ(笑)

    でも、打つことだけは誰にも負けなかった


    チームのみんながキャッチボールや守備練習に精を出す中、夢じいはひたすらバッティング。
    練習時間の9割が打撃練習という極端さに、監督も「こいつに守備は期待してない」と割り切っていた節がありました。

    当時の夢じいの頭には、「守備」はなかった。
    あるのは「バッティング」のみ。
    初球からフルスイング結果はホームランか三振


    今思えば、チームの監督やコーチにはずいぶん迷惑をかけていたかもしれません。
    でも、「夢じいなら仕方ない」と笑って許してくれた大好きな監督、大好きなチームメイトたち。
    勝つ試合も、負ける試合も、夢じいの打撃とエラーが鍵になっていたような、濃い時間でした。

    そのとき芽生えた「野球って楽しい!」という気持ちは、夢じいの中にずっと残りました
    そして、「いつか自分の息子と、同じユニフォームを着たい」――そう思うようになったのです。

    そんな夢が現実になったのは、それから何十年も経ったあと。
    二人の息子がともに野球を始めたとき、夢じいは心の中でガッツポーズをしました

    でも、選手の父親として応援するだけでは終わりませんでした。
    あるとき、次男のチームで「お父さんたちの中で、コーチをしてくれる方いませんか?」と声がかかったのです。
    「これはチャンスかもしれない」――そう思った夢じいは、手を挙げました。
    コーチとして、ユニフォームに袖を通す日が来たのです。

    …とはいえ、夢じいの本当の仕事は「審判」でした(笑)。


    というのも、当時の少年野球では、試合が終わったチームの保護者やコーチが次の試合の審判を務めるというルールがありました。
    つまり、チームが勝ち進むほど審判の機会も増えるという仕組み。
    幸か不幸か(?)、次男のチームは強く、勝ち進むたびに夢じいの“出番”も増えました。
    試合が終わると、「夢じいさん、次の審判よろしくお願いしますね」と呼ばれ、
    いつの間にか、ベンチよりグラウンドでジャッジする時間のほうが長くなっていたのです。

    そして夢じいは――実はちょっと“変わった審判”でした

    たとえば、タイミング的にはアウトだけど、スライディングした子がほんの一瞬だけベースから足を離してしまった。
    あるいは、明らかにベースを踏み損ねていた――なんて場面でも、夢じいは迷わず「セーフ!」のコール。


    守備の選手は「あれ?」と思ったかもしれません。でも、夢じいにはこう見えていたんです。
    「この子は、必死に走っていた。そのがんばりに報いたい」――と。

    だから夢じいの判定は、ときにルールより“気持ち”が勝っていました。
    もちろん、厳密に言えばよくないかもしれません。
    でも、子どもたちにとって“野球が楽しかった”と記憶に残るなら、それもひとつの役割だと、今も信じています。

    そんなふうに、夢じいはプレーの指導よりも、ベースのそばで子どもたちを見守ることが多かった。
    でも、その距離から見える“成長の瞬間”がたくさんありました。

    次回は、そんな夢じいが見つめた息子たち、そしてチームの仲間たちの成長の物語をお届けします。

    夢じいのひと言:

    「野球の技術は、もう教えられないかもしれない。でも、楽しむ心なら、まだまだ伝えられる気がするんや。」