• 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第六話~

    第6話「野球は、ちゃんとつながっていた~夢じいと孫の物語~」

    コーチを引退してから25年。思いがけない知らせが夢じいの元に届きました。

    なんと、次男がかつて所属していたあのチームに、夢じいの孫が入部したのです。しかも、あの紺色のユニフォームを着ているのは、長男の娘――つまり、女の子でした。

    夢じいは飛び上がるほど嬉しかった。自分の息子が野球を始めたときと同じ、いやそれ以上の感動を覚えました。

    初孫が生まれたときのことを、ふと思い出します。女の子でした。

    もちろん、息子の子どもですから夢じいが口を出すことではないけれど、「女の子でも、もし野球に興味を持ってくれたら…」と、ひそかに願っていたのです。

    その孫は、小柄で長い髪の女の子。2歳、3歳と成長するにつれて、だんだんとヤンチャになっていきました。親の方針は「子どもは元気に遊ぶのが仕事!」その方針どおり、朝から晩まで遊び倒す毎日。

    やがて、屋根のない“森のようちえん”に入園し、虫やカエルと遊びながら、たくましい女の子へと育っていきました。

    そしてある日、孫が言ったのです。

    「お父さん、お母さん、私、野球がやりたい! いい⁈」

    父親は「やったー!」と大喜び。母親は「えーっ⁉︎ なんでー!?」と戸惑い気味。まさに真逆の反応でしたが、最後は本人の気持ちを尊重し、野球を始めることに。

    その姿を見ながら夢じいは、「あぁ、自分もおじいちゃんになったんだなあ」と、じんわり感じ始めていました。

    ただし――孫は決して上手とは言えません。

    キャッチボールもぎこちなく、バットにボールが当たることもまれ。でも、それがまたいいんです。ボールが当たるだけで「やったー!」と大喜び。ヒットでも打とうものなら、家族そろって万歳三唱。

    遠くからグラウンドで駆け回る孫を応援するその時間は、夢じいにとって何にも代えがたい宝物となりました。

    上手じゃないところは、どうやら夢じい譲り。でも、楽しそうに野球をする姿を見ていると、「野球って、やっぱりいいなあ」と、夢じいはあらためて思いました。

    夢じいの一言:

    「孫が野球を始めるなんて、思ってもみなかった。だけど、あのグラウンドにまた“家族の声”が響くのを聞いたとき、野球はちゃんとつながってるって思えたんです。嬉しくて、涙が出そうでした。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第五話~

    第5話「ヒーローたちへの贈り物——夢じい、涙の卒部式」

    グラウンドに吹く風が、どこか特別に感じられる3月のある日。

    6年生にとって、そして夢じいにとっても、最後の試合の日がやってきました。

    この日、行われたのは「卒部試合」。

    6年生だけが出場できる、特別な公式戦です。

    5年生の中には実力のある子もいましたが、ベンチから声援を送ります——これは伝統的なルールでした。

    だからこそ、6年生たちは最後の一球まで、すべての力を込めて戦いました。

    結果は、優勝。

    最高の形で幕を下ろした試合のあと、グラウンドに少しだけ静かな時間が訪れました。

    卒部式の始まりです。

    監督が一人ひとりの名前を呼び上げ、選手たちはグラブを掲げて返事をする。

    その姿を見守る夢じいにも、この日のために用意してきた“プレゼント”がありました。

    それは、夢じい特製のフォトプレート。

    6年生全員の写真を一つの額にまとめたもので、レギュラーとして活躍した子も、補欠として一瞬だけ出場した子も——全員が等しく輝く瞬間を夢じいが撮影し、収めたものでした。

    夢じいにはこんな願いがありました。

    「卒部式には、全員がヒーローになってほしい」

    だからこそ、補欠の子が守備についた時、打席に立った時、少しのチャンスを懸命に掴もうとする姿を絶対に見逃さないようにしていたのです。

    夢じいにとって、一番シャッターを切る手に力が入ったのは、そういった瞬間でした。

    そしてもちろん、我が家の次男の姿も。

    ある“例の瞬間”をしっかりと捉えたベストショットを選びました。

    プレートの中では、誰もがヒーローに見えました。

    「このバッティング、かっこよかったなあ」

    「この時の守備、最高やったな」

    渡すたびに、子どもたちは少し照れながらも、誇らしげに受け取ってくれました。

    中には親御さんがそっと涙ぐむ場面もあり、夢じいの胸もいっぱいになりました。


    夢じいの野球人生は、いつだって**“打撃のロマン”**でした。

    ダイナミックに振り抜き、打球が空を切り裂く。とにかく「打つことがすべて」だったんです。

    例えるなら、下駄を10枚履かせてもらって言えば、ソフトバンクの山川選手。

    ホームランを夢見る、そんな野球に夢中でした。

    一方、長男はその正反対。無駄のないフォームに、鉄壁の守備。

    地味でも確実にチームを支える、そんな選手。

    これまた下駄を履かせて言えば、西武の源田選手です。

    そして次男はというと——その間を縫うような存在。

    三塁手として難しい打球を落ち着いてさばき、ここぞの場面ではしっかり打ち返す。

    夢じいの中では、巨人の岡本選手のような、勝負強さのある選手でした。

    もちろん、プロ選手とは比べものにならない実力です。

    でも夢じいの心の中では、二人とも間違いなく立派な“プロ選手”でした。

    それぞれの個性を持ちながら、大好きな野球を通じて成長してくれた。

    ——それが、夢じいにとって何よりの誇りだったのです。


    5年生から次男のチームに関わり、2年間一緒に戦ってきた夢じい。

    長男のときは保護者席から声援を送る立場でしたが、次男のときはグラウンドの中で、選手たちと一緒に汗を流しました。

    そしてこの日が、夢じいにとっても**“コーチとしての最終日”**。

    卒部式が終わったあと、こらえていた涙がひとすじ、頬をつたいました。

    それを袖でそっとぬぐいながら、夢じいは思いました。

    ——今日、あの子たち全員が、ヒーローになれた気がする。

    夢じいが残したフォトプレートと涙が、いつか誰かの心に残ればいい。

    そんなふうに願った、ある春の日のことでした。


    夢じいの一言:

    「最後はな、全員がヒーローになってほしかったんや。せめてプレートの中だけでも。——それが夢じいの願いやったんよ。」

  • 【番外編】ありがとう、長嶋さん──夢じいが憧れた人

    ※長嶋茂雄さんの訃報を受けて、夢じいが心に浮かんだ思いを、自身の記憶とともに綴ったエピソードです。

    (あの頃の夢じいの心を、そっと表現しています)

    えっ、長嶋さんが…。

    一瞬、言葉を失いました。

    テレビをつけると、長嶋茂雄さんが亡くなられたというニュースが流れていました。

    信じたくない。いや、信じられない。

    でも、画面を見つめながら、静かに涙がこぼれていました。


    夢じいが野球を始めたのは、小学生の頃。

    そのきっかけは、テレビの中で躍動する長嶋茂雄さんのプレーでした。

    ただ野球がやりたいのではなく、**「長嶋茂雄になりたい」**と本気で思った。

    長嶋さんの打つ姿、走る姿、守る姿…すべてがかっこよくて、まぶしかった。


    実は夢じいにも、長嶋さんへの憧れがそのまま表れた“あのとき”がありました。

    チームに入ったばかりの頃、監督に言ったんです。

    「サードを守りたいんですけど」って。

    監督はちょっと絶句して「えっ、夢じいが…」と。

    無理もありません。夢じいは左利き。

    左利きのサードなんて、聞いたことがない。

    でも、監督は笑顔で「じゃあ、テストしてみよう」と言ってくれました。

    左右の打球は何とかかっこよく取れたんです。

    でも、真正面の打球が飛んできたとき、思わず叫んでしまった。

    「うわーっ!」と。

    怖くて目をそらしてしまい、捕れなかった。

    そのとき監督が言ってくれたんです。

    「夢じいには、やはり打つ方で頑張ってほしい」

    優しく、でも少年の心にまっすぐ響くひと言でした。

    この話は、監督と夢じいだけが知っている、ちょっとした秘密だったんです。


    そのとき、「長嶋茂雄になる」夢はそっと閉じました。

    でも、「野球選手になる」夢はむしろ強くなりました。

    華はなくても、努力と根性で自分なりに輝きたい。そんな気持ちでした。


    時が経っても、夢じいの心の中にはいつも長嶋さんがいました。

    現役を引退され、監督としてユニフォームを着た長嶋さん。

    打つ、走る、守る。

    そして采配も、すべてに魅せられました。

    「長嶋茂雄が9人いれば、それだけでいい」──

    そんな言葉を誰かが実際に言ったわけではありません。

    でも、それくらい長嶋さんを思い、全力で応えようとする選手たちがいたら、

    きっと長嶋監督はもっと自由で、もっと面白い野球を見せてくれたに違いありません。

    どんなに無理そうに見える場面でも、絶対にあきらめない心。

    自分自身にも、選手たちにも言い聞かせ、

    時に奇跡のような瞬間を生み出す力。

    それが、長嶋茂雄さんという人でした。


    監督を引退された後、病に倒れられたこともありました。

    スーパースターだからこそ、人前に出ることをためらわれたこともあったかもしれません。

    でも、長嶋さんは多くの人々の前に立ち、

    リハビリを続けながら、懸命に歩き、時に言葉を絞り出して、

    「頑張ること」の意味を、全身で私たちに伝えてくれました。

    身体は思うように動かなくても、

    言葉は以前ほど滑らかではなくても、

    その発信力は以前にも増して力強かった。


    最近では、メディアで長嶋さんの姿を見かけることは少なくなっていました。

    そして今、もうそのお姿を新たに目にすることは叶いません。

    けれども、夢じいの心の中には、今もずっと生きています。

    少年時代、憧れて、真似して、

    そして、自分自身の夢を重ねてきた人。

    夢じいも、もちろんミスターにはなれないけれど、

    ブログという小さな舞台から、

    誰か一人にでも「力」や「勇気」を届けていきたい。

    それが、夢じいなりの恩返しです。


    長嶋さん、本当にありがとうございました。

    どうか安らかにお眠りください。


    夢じいの一言:

    「夢は叶わなくても、憧れは人生を導いてくれる。

     長嶋さん、本当にありがとうございました。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第四話~

    第4話「僕、サードを守りたい。」

    「僕、サードを守りたい。」

    6年生になる春、監督に聞かれた次男の答えに、夢じいコーチは思わず声を上げてしまいました。

    「えぇーっ⁉️ サード⁉️」

    驚いたのも無理はありません。それまで次男はセンターを守っていました。少年野球では、外野よりも内野の方がはるかに守備の難易度が高い。中でもサードは、速い打球への反応と強い肩、的確な判断力が求められる“ホットコーナー”です。

    しかも、夢じいの次男はというと……まぁ、ぽっちゃり系。いや、正直に言えばまるまる太っていた。動きはどこかのっそりしていて、俊敏さとは無縁。夢じいの心の声は「やめとけー!無理だってー!」と叫んでいました。

    でも、本人がそう言ったのです。それを止める理由も資格も、夢じいにはありませんでした。

    内心では、「まあ、すぐに挫折するだろう」と思っていました。体型も性格も、サードに向いているようには思えなかったのです。

    ところが——。

    数週間も経たないうちに、驚くような変化が現れました。

    正面のゴロは、きっちりと腰を落として処理する。

    少しショート寄りの打球にも、スライディングで飛び込んで止める。

    そして一塁へ、力強く、まっすぐな送球。

    「おぉ……うまいな……」

    自分の息子なのに、夢じいは心から驚かされました。

    もちろん、派手なプレーではありません。でも、ひとつひとつが丁寧で、確実。野球の基本を、真面目に、地道に、積み重ねていることが伝わってくる守備でした。

    夢じいは「派手なファインプレーよりも、確実なプレーにこそ価値がある」と思っています。次男のプレースタイルは、まさにその言葉を体現していました。

    このサードへの挑戦をきっかけに、次男はひとつのギアを上げました。

    仲間たちがふざけ合っている時間も、黙々とノックを受ける。

    「もう一球、お願いします」と自分から監督に声をかける。

    自分の課題に、真正面から向き合い始めたのです。

    そして、その努力は体にも表れてきました。

    あれほど丸かった体が、日々の練習の中で徐々に引き締まっていきました。

    最初はゼイゼイと息を切らせていたダッシュも、フォームが整い、スピードも明らかに速くなっていったのです。

    もちろん、夢じいは何も言いませんでした。

    ただ静かに、横で見守るだけ。

    それでも、次男は一歩ずつ、自分の力で変わっていきました。

    そして迎えた6年生の夏、最後の大会。

    チームは順調に勝ち進み、決勝戦へ。

    試合は一進一退の攻防。最終回、同点のままツーアウト満塁のチャンス。

    バッターボックスには、我が次男。

    「ここで回ってくるか……」

    期待と不安が入り混じる中、夢じいは祈るようにベンチで見守っていました。

    カーン!

    乾いた打球音がグラウンドに響きました。

    ボールは低く鋭く伸びていき、左中間を真っ二つに割りました。

    外野手が追いつけない間に、一人、二人、三人がホームイン。

    そして、次男もヘッドスライディングでホームに滑り込み——

    ランニングホームラン。

    スタンドから大歓声が巻き起こり、仲間たちがベンチから飛び出して次男を迎えました。

    ベースを回るその姿に、夢じいはベンチの隅で、こっそり涙を拭っていました。

    あの「えぇーっ⁉️ サード⁉️」と叫んだ日から始まった小さな挑戦が、ここまでの物語になったことが、ただただ嬉しくて、誇らしかったのです。

    夢じいの一言:

    「自分の背中を、自分で押せる子に育ってくれて、じいは嬉しい。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第三話~

    第3話「帽子もサインもバラバラ!?自由すぎる野球チームに学んだこと」

    長男が入っていた少年野球チームと、次男のチーム。
    同じ「少年野球」とは思えないほど、その世界はまるで別物でした。


    長男が所属していたのは、地元でも有名な強豪チーム。
    スケジュールはびっしり。ユニフォームは全員きっちり揃い、帽子のかぶり方やお辞儀の角度まで決まっていました。整列してグラウンドに入場し、「礼!」の号令で一斉に頭を下げる姿は、まさに「管理野球」。小学生とは思えないほどの緊張感。親としては、正直ちょっと誇らしかったんです。

    ところが次男のときに入ったチームは……
    初めての練習日から、目を疑いました。


    まず、練習着がバラバラ。
    帽子の色もまちまちで、中にはツギハギだらけのシャツを着ている子も。さらに驚いたのは、公式戦のユニフォーム。

    「これ、去年の6年生のやつなんだよ。袖、破れてるけどいいよね?」

    なんて笑ってる子がいて、周りもまったく気にしていない様子。
    監督も、

    「試合中に破れても、お母さんが縫ってくれるから大丈夫だ!」

    と真顔で言うから、思わず吹き出してしまいました。


    礼儀作法?もちろん大事です。でも、このチームでは“自然体”がモットー。

    試合前のお辞儀も、号令はバラバラ、隊列もフリースタイル。でも、子どもたちの顔はとにかく生き生きしていて、「野球って、こんなに自由でいいんだ!」と目からウロコでした。

    練習でも「自分のペース」が尊重されます。
    走り方がちょっと変でも、誰も気にしない。打てなくても怒られない。
    笑いが絶えないグラウンドで、子どもたちは泥だらけになりながら、何度も転び、でも立ち上がって、またボールを追いかけていました。
    そんな姿を見て、私は思いました。「これぞ“泥まみれ上等”だなあ」と。


    そして試合になると……これがまた不思議なんです。
    サインなんて、ほとんど誰も見てない(笑)。

    監督が、

    「サイン出してるんだけどな~……誰も見てねえな~」

    とぼやく横で、バッターはお構いなしにフルスイング。
    ランナーも好きなタイミングで走り出す。それでも、なぜかちゃんと成功する。

    中でも面白かったのは、みんなが盗塁を狙ってる中、うちの次男だけがピクリとも動かない(笑)。
    足が遅いのもあるけど、それ以上に「自分のタイミング」があるらしく、コーチに「行けーっ!」と叫ばれても、のそのそと立ち尽くすばかり。

    見ているこちらはハラハラでしたが、監督やコーチは怒るどころか、

    「まあ、それがアイツの野球だからな」

    と笑って受け止めてくれるんです。


    この“懐の深さ”が、このチームの一番の魅力だと思います。

    上手な子も、そうでない子も、速く走れる子も、マイペースな子も、
    みんなが「チームの一員」として、ちゃんと認められている。
    次男もそんな中で、ゆっくり、でも確実に、野球の楽しさを身につけていったように思います。


    思い返せば、長男のチームは「型にはめて強くなる」ことを目指していました。
    一方で次男のチームは、「その子らしさ」を大切にしていた。

    野球へのアプローチはまったく違いましたが、どちらも子どもにとってはかけがえのない経験だったと思います。

    そして私自身にとっても、この自由すぎる野球チームは、
    “野球の原点”――いや、もっと言えば“遊びの原点”を思い出させてくれた、そんな気がしています。


    夢じいの一言:

    「勝ちたい気持ちも大事。でも、笑って泥だらけになることの方が、ずっと大切な時もあるんだよね。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第二話~

    第2話「息子たち、夢じいの夢を追いかけて」

    夢じいの「いつか息子と一緒に野球をしたい」という長年の夢は、思いのほか自然に叶いました。


    二人の息子は、気づけば夢じいの少年時代と同じように、バットを握り、グローブをはめていました。

    休日になると公園でキャッチボール。時には三角ベース。
    まだ小さな体で投げる球はふらふらでしたが、それでも、夢じいにとっては夢のような時間でした。

    やがて、二人とも本格的に少年野球チームに所属することになります。
    そして、次男が所属していた地元のチームで、ある日コーチの募集がかかりました。

    「チームを支えてくださる保護者の方、いませんか?」

    その言葉に、夢じいの心が動きました。
    あの頃、自分がチームメイトに支えられ、監督に見守られ、思いきりプレーした日々――
    今度は、その“支える側”に回る番が来たのだと。

    ユニフォームに袖を通すと、不思議な気持ちになりました。


    まるで時空を超えて、あの頃の夢じいと今の夢じいがグラウンドで握手したような気分。
    背中に「コーチ」と書かれた文字を、少し誇らしく感じながら、新しい挑戦が始まりました。

    コーチとしての初日。
    夢じいはやや緊張しながら、グラウンドに立っていました。
    「どうやって子どもたちに教えたらいいのか?」
    「自分の野球経験は昔すぎるんじゃないか?」
    そんな不安も正直ありました。

    でも、子どもたちはそんな夢じいの気持ちをよそに、元気いっぱいに走り回っていました。
    「こんにちは!コーチ!」と駆け寄ってくる子たちの笑顔に、夢じいの緊張はすぐにほどけました。

    次第に、夢じいの中にある“昔の感覚”がよみがえってきます。
    あのバッターボックスに立つ高揚感、フルスイングの快感、
    そして、守備でやらかしてしまったときのドキドキ(これはしっかり覚えています…笑)。

    コーチといっても、夢じいの担当は主に「サポート」や「審判」、そして「見守ること」。
    最初から技術指導ができるわけではありませんでしたが、
    練習の準備や球拾い、声かけ、何より“子どもたちの成長を見つめる役”としての役割を全うしました。

    一方で、コーチになって初めて知ったこともあります。
    子どもたちは、思っていた以上に繊細で、まっすぐ。
    試合でミスをした子が、ベンチの隅で悔し涙を流している。
    仲間同士で衝突して、練習後にモヤモヤを抱えている。
    そんな場面にたくさん出会いました。

    夢じいは、そういうときこそ、自分の出番だと思いました。
    そっと隣に座って、声をかける。


    「ミスしてもいい。思いきりやったら、それでええ」
    「ケンカも野球のうちや。けど、仲直りできたらもっとええ」

    そんな言葉が、どこまで届いていたかは分かりません。
    でも、夢じいの言葉にうなずいて、またグラウンドに戻っていく子どもたちの背中に、
    あの頃の夢じい自身を重ねていたのかもしれません。

    そして何より――
    目の前でがんばる息子の姿は、特別でした。

    ユニフォームを着て、打席に立つ。
    守備のミスに悔しがる。
    仲間と笑い、励ましあいながら試合を戦う。
    そのすべてが、夢じいにとっては宝物のような時間でした。

    次回は、そんなグラウンドの日々の中で感じた“野球の原点”をお届けします。

    夢じいの一言:

    「野球も人生もフルスイング!ミスしても、ボール拾ってまた構えたらええんよ。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~少年野球コーチ編 第一話~

    第1話「夢じい、野球に恋した少年時代」

    夢じいには、ずっと心の中にしまっていた小さな願いがありました。
    それは、「男の子が生まれたら、一緒に野球をやりたい」という夢。
    それは単なる親の期待ではなく、夢じい自身の“原体験”に根ざした、切実な願いでもありました。

    夢じいが野球に出会ったのは、小学生の頃。
    田舎の小さな町で、少年野球チームに入ったのが始まりです。
    当時から夢じいは“左利き”で、ポジションの選択肢は自然と限られました。
    ファーストかライト。しかも守備は――正直、下手くそ(笑)

    でも、打つことだけは誰にも負けなかった


    チームのみんながキャッチボールや守備練習に精を出す中、夢じいはひたすらバッティング。
    練習時間の9割が打撃練習という極端さに、監督も「こいつに守備は期待してない」と割り切っていた節がありました。

    当時の夢じいの頭には、「守備」はなかった。
    あるのは「バッティング」のみ。
    初球からフルスイング結果はホームランか三振


    今思えば、チームの監督やコーチにはずいぶん迷惑をかけていたかもしれません。
    でも、「夢じいなら仕方ない」と笑って許してくれた大好きな監督、大好きなチームメイトたち。
    勝つ試合も、負ける試合も、夢じいの打撃とエラーが鍵になっていたような、濃い時間でした。

    そのとき芽生えた「野球って楽しい!」という気持ちは、夢じいの中にずっと残りました
    そして、「いつか自分の息子と、同じユニフォームを着たい」――そう思うようになったのです。

    そんな夢が現実になったのは、それから何十年も経ったあと。
    二人の息子がともに野球を始めたとき、夢じいは心の中でガッツポーズをしました

    でも、選手の父親として応援するだけでは終わりませんでした。
    あるとき、次男のチームで「お父さんたちの中で、コーチをしてくれる方いませんか?」と声がかかったのです。
    「これはチャンスかもしれない」――そう思った夢じいは、手を挙げました。
    コーチとして、ユニフォームに袖を通す日が来たのです。

    …とはいえ、夢じいの本当の仕事は「審判」でした(笑)。


    というのも、当時の少年野球では、試合が終わったチームの保護者やコーチが次の試合の審判を務めるというルールがありました。
    つまり、チームが勝ち進むほど審判の機会も増えるという仕組み。
    幸か不幸か(?)、次男のチームは強く、勝ち進むたびに夢じいの“出番”も増えました。
    試合が終わると、「夢じいさん、次の審判よろしくお願いしますね」と呼ばれ、
    いつの間にか、ベンチよりグラウンドでジャッジする時間のほうが長くなっていたのです。

    そして夢じいは――実はちょっと“変わった審判”でした

    たとえば、タイミング的にはアウトだけど、スライディングした子がほんの一瞬だけベースから足を離してしまった。
    あるいは、明らかにベースを踏み損ねていた――なんて場面でも、夢じいは迷わず「セーフ!」のコール。


    守備の選手は「あれ?」と思ったかもしれません。でも、夢じいにはこう見えていたんです。
    「この子は、必死に走っていた。そのがんばりに報いたい」――と。

    だから夢じいの判定は、ときにルールより“気持ち”が勝っていました。
    もちろん、厳密に言えばよくないかもしれません。
    でも、子どもたちにとって“野球が楽しかった”と記憶に残るなら、それもひとつの役割だと、今も信じています。

    そんなふうに、夢じいはプレーの指導よりも、ベースのそばで子どもたちを見守ることが多かった。
    でも、その距離から見える“成長の瞬間”がたくさんありました。

    次回は、そんな夢じいが見つめた息子たち、そしてチームの仲間たちの成長の物語をお届けします。

    夢じいのひと言:

    「野球の技術は、もう教えられないかもしれない。でも、楽しむ心なら、まだまだ伝えられる気がするんや。」

  • 「夢じいの四次元かばん 〜こだわりは変えられません〜」

    でも、夢じいのかばんには、時々“優しさ”も入ってます(たぶん)。

    こんにちは、夢じいです。

    「そんなに大きなかばん、重くないんですか?」
    よく聞かれます。たいていは「トレーニングですから」と笑って返すんですが、本当は違います。

    夢じいは、昔からかばんにはちょっとした“こだわり”があります
    若いころはアタッシュケース。今はクラシックなダレスバッグ。頑丈で、鍵がかかり、中が見えない。それが夢じい好みです。

    イメージとしては、ドラえもんの四次元ポケット
    さすがにタケコプターは出てきませんが、「あったら助かるもの」がだいたい入ってます。

    たとえば、降水確率10%。そんなときでも夢じいは迷わず傘を入れます。
    一方、妻はいつも小さなかばん。10%の雨では傘を持ちません。
    そして帰り道、空からポツポツ降ってくると「ねぇ、傘入ってる?」と聞かれるんです。ええ、ありますよ。

    休日の外出は大きなバックパック
    妻の荷物、途中で買ったもの、何でも夢じいのかばんに入っていきます。

    中身はというと――
    絆創膏、濡れティッシュ、爪切り、ハンドクリーム、かゆみ止め、ミニドライバーに裁縫セット…
    「それ、今いる?」というものまで入っています。

    家にあるなら、持ってこられる
    これが夢じいの持論です

    だから、蚊に刺されても「かゆみ止め持ってくればよかったー」と後悔することはありません。

    けれど、いいことばかりじゃありません。

    満員電車では「この人、邪魔…」という視線を感じます。


    肩はガチガチ、手首は腱鞘炎気味。
    雨の日は、スーツは守れど、かばんはびしょ濡れ。
    見た目も「夢じい、なんかゴツくない?」と言われます。

    わかってます。でも、こればかりは変えられないんです
    なんだかんだ言って、自分のスタイルなんですよね

    だからみなさん、どうか真似はなさらぬように。
    夢じいみたいに、手首を痛めたり、人に迷惑をかけたりしてはいけませんよ。

    結びの夢じいのひと言:

    不便でも、自分らしさって大事にしたいんです。夢じいです。

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第五話~

    第五話:もう一度、走りたくなる日が来る

    「走るのは、もう卒業したから」

    そんな言葉を、自分自身に何度言い聞かせてきたか、わかりません

    高校を卒業してからというもの、陸上のスパイクもユニフォームも押し入れの奥にしまいっぱなしでした。

    日々の仕事に追われ、家族を支えることに夢中で、

    ふと鏡を見ると、「走る人の体型」ではなくなっていました。

    でもある日、不思議なことが起きました。

    テレビで高校生のリレーを見ていたときのこと。

    バトンをつなぎながら、まっすぐな目をした若者たちが、コーナーを駆け抜けていく姿。

    そのフォーム、表情、ゴール後に倒れ込む姿が、かつての自分と重なったのです。

    「ああ、また走ってみたいな」

    そんな気持ちが、ふと胸をよぎりました。

    もちろん、もう現役のようには走れません。

    でも、「もう一度、自分の足で風を感じてみたい」。

    ただそれだけの気持ちで、近くの公園に出かけ、歩いてみることにしました。

    最初は数百メートル。次は1キロ。

    そして少しずつ、「少しだけ走ってみようかな」という気持ちが芽生えてきました。

    すると、体も心も、なんだか軽くなっていくのです。

    誰かに見せるためではなく、タイムを競うためでもなく、

    ただ、自分の中の「もう一度」に応えたくて。

    そんな頃、ふと思い出した話があります。

    夢じいの前職の同僚に、箱根駅伝を走った男がいました

    ある日、聞いたんです。「どうしたらまた走れるようになりますか?」と。

    彼は笑って言いました。

    「昔、走るのが好きだった人なら、必ずまた走りたくなりますよ」

    「遅くなってもいいから、仕事の後に30分だけ歩いてみてください」

    「えー、ほんとですか? しばらく全然走ってないんですよ」と笑うと、彼はきっぱりと言いました。

    「必ず走ります。走りたくなります」

    その日の夜、半信半疑で歩き始めました。

    夜9時半、夕食を済ませ、ウェアに着替え、公園を30分。

    雨の日も、傘を差して歩きました。

    1週間もすると、30分が短く感じられ、いつの間にか40分、50分と伸びていきました。

    不思議な感覚でした。2週間が過ぎると――本当に、走りたくなってきたのです。

    全力疾走とはいかないまでも、両足が地面に同時につかない程度の軽いジョグ。

    まんまと元箱根ランナーの罠にハマったなあ」なんて思いながらも、嬉しかったんです。

    狐につままれたような、そんな気分でした。

    人生には、「もう戻れない」と思っていたことに、そっと戻れる瞬間があります。

    夢じいは、それを「心のリターンレーン」と呼んでいます。

    いつでも全力疾走できるわけではありません。

    でも、またスタートラインに立つことは、いくつになってもできるのです。

    もしかしたら、あなたにも、そんな「もう一度走りたい」と思うことがあるかもしれません。

    昔の夢。途中でやめた趣味。あきらめていた挑戦。誰かに言えなかった想い――。

    それを、もう一度、自分の足で追いかけてみませんか?

    速くなくていいんです。形にならなくてもかまいません。

    ゴールがどこにあるのか、わからなくても大丈夫です。

    大切なのは、「また走ってみよう」と思えた、その気持ちです。

    夢じいは今日も、公園を一周だけ走ります。

    途中で歩くこともありますが、それでも心は、前よりずっと軽やかです。

    何歳になっても、もう一度は訪れる

    あなたにも、そんな日が来ますように

    夢じいの一言:

    走る準備は要りませんよ。歩いていたら、

    勝手に心が前へ進みだしますから。

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第四話~

    第四話:応援席から見えるもの

    高校時代、夢じいは陸上部で400メートルを走っていました。
    「中途半端に長い」と言われるこの距離は、全力で走りきるには相当な覚悟が要ります。
    走っている最中はとにかく苦しく、ゴール後にしばらく立ち上がれないこともありました

    ある日、記録も順位もふるわず落ち込んでいた夢じいに、母がこう言いました。

    今日も、ちゃんと最後まで走りきっていたね。すごいじゃない

    そのとき、夢じいは少し驚きました。
    夢じいの中には「ああ、またビリか」「だめだったなあ」という気持ちしかなかったからです。

    でも、母は順位なんて気にしていませんでした。
    ただ、夢じいが最後まであきらめずに走りきったことを、応援席から見ていたのです

    そのとき、夢じいは気づきました。
    どんなレースでも、どんな人生でも、見てくれている人はいる。
    順位や成績ではなく、「その人なりのがんばり」を見てくれている目があるのだと

    人生にも、そんな「応援席」があります
    家族だったり、友人だったり、先生や先輩だったり。
    あるいは、ずっと前に出会った誰かかもしれません。

    そして、もうひとつ大切な「応援席」は、自分の中にもあるのです

    「今日の自分、よくがんばったな」――
    そう思える日があると、不思議と心が温かくなるのです。
    誰かから褒められなくても、自分の応援席が拍手を送ってくれている。
    そんな感覚です。

    若いころは、「誰が見てるんだろう?」「どう思われるんだろう?」と気にしていました。
    でも今は、「誰かは見てくれている」と信じるようにしています
    そして何より、「自分自身が見ている」ことを忘れないようにしています。

    あなたが今、どんな場所でどんな挑戦をしていたとしても、
    きっと誰かが見ています
    あなたの苦労や努力、迷いながら進む姿を、静かに応援している誰かが。

    それは、親かもしれません。
    友人かもしれません。
    あるいは、まだ出会っていない、未来のあなた自身かもしれません。

    だから、どうか途中であきらめずに、走ってみてください
    全力じゃなくても、ゆっくりでも、足を止めなければ、それで十分です

    ゴールしたとき、ふと応援席から拍手が聞こえるかもしれません。
    それは、あなたがあきらめずに走り抜けた証なのです

    夢じいの一言:

    走る速さより、走り続ける心を大切に。

    応援席で、夢じいはいつも拍手しています。