カテゴリー: 高校陸上部編

高校陸上部での奮闘記

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第五話~

    第五話:もう一度、走りたくなる日が来る

    「走るのは、もう卒業したから」

    そんな言葉を、自分自身に何度言い聞かせてきたか、わかりません

    高校を卒業してからというもの、陸上のスパイクもユニフォームも押し入れの奥にしまいっぱなしでした。

    日々の仕事に追われ、家族を支えることに夢中で、

    ふと鏡を見ると、「走る人の体型」ではなくなっていました。

    でもある日、不思議なことが起きました。

    テレビで高校生のリレーを見ていたときのこと。

    バトンをつなぎながら、まっすぐな目をした若者たちが、コーナーを駆け抜けていく姿。

    そのフォーム、表情、ゴール後に倒れ込む姿が、かつての自分と重なったのです。

    「ああ、また走ってみたいな」

    そんな気持ちが、ふと胸をよぎりました。

    もちろん、もう現役のようには走れません。

    でも、「もう一度、自分の足で風を感じてみたい」。

    ただそれだけの気持ちで、近くの公園に出かけ、歩いてみることにしました。

    最初は数百メートル。次は1キロ。

    そして少しずつ、「少しだけ走ってみようかな」という気持ちが芽生えてきました。

    すると、体も心も、なんだか軽くなっていくのです。

    誰かに見せるためではなく、タイムを競うためでもなく、

    ただ、自分の中の「もう一度」に応えたくて。

    そんな頃、ふと思い出した話があります。

    夢じいの前職の同僚に、箱根駅伝を走った男がいました

    ある日、聞いたんです。「どうしたらまた走れるようになりますか?」と。

    彼は笑って言いました。

    「昔、走るのが好きだった人なら、必ずまた走りたくなりますよ」

    「遅くなってもいいから、仕事の後に30分だけ歩いてみてください」

    「えー、ほんとですか? しばらく全然走ってないんですよ」と笑うと、彼はきっぱりと言いました。

    「必ず走ります。走りたくなります」

    その日の夜、半信半疑で歩き始めました。

    夜9時半、夕食を済ませ、ウェアに着替え、公園を30分。

    雨の日も、傘を差して歩きました。

    1週間もすると、30分が短く感じられ、いつの間にか40分、50分と伸びていきました。

    不思議な感覚でした。2週間が過ぎると――本当に、走りたくなってきたのです。

    全力疾走とはいかないまでも、両足が地面に同時につかない程度の軽いジョグ。

    まんまと元箱根ランナーの罠にハマったなあ」なんて思いながらも、嬉しかったんです。

    狐につままれたような、そんな気分でした。

    人生には、「もう戻れない」と思っていたことに、そっと戻れる瞬間があります。

    夢じいは、それを「心のリターンレーン」と呼んでいます。

    いつでも全力疾走できるわけではありません。

    でも、またスタートラインに立つことは、いくつになってもできるのです。

    もしかしたら、あなたにも、そんな「もう一度走りたい」と思うことがあるかもしれません。

    昔の夢。途中でやめた趣味。あきらめていた挑戦。誰かに言えなかった想い――。

    それを、もう一度、自分の足で追いかけてみませんか?

    速くなくていいんです。形にならなくてもかまいません。

    ゴールがどこにあるのか、わからなくても大丈夫です。

    大切なのは、「また走ってみよう」と思えた、その気持ちです。

    夢じいは今日も、公園を一周だけ走ります。

    途中で歩くこともありますが、それでも心は、前よりずっと軽やかです。

    何歳になっても、もう一度は訪れる

    あなたにも、そんな日が来ますように

    夢じいの一言:

    走る準備は要りませんよ。歩いていたら、

    勝手に心が前へ進みだしますから。

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第四話~

    第四話:応援席から見えるもの

    高校時代、夢じいは陸上部で400メートルを走っていました。
    「中途半端に長い」と言われるこの距離は、全力で走りきるには相当な覚悟が要ります。
    走っている最中はとにかく苦しく、ゴール後にしばらく立ち上がれないこともありました

    ある日、記録も順位もふるわず落ち込んでいた夢じいに、母がこう言いました。

    今日も、ちゃんと最後まで走りきっていたね。すごいじゃない

    そのとき、夢じいは少し驚きました。
    夢じいの中には「ああ、またビリか」「だめだったなあ」という気持ちしかなかったからです。

    でも、母は順位なんて気にしていませんでした。
    ただ、夢じいが最後まであきらめずに走りきったことを、応援席から見ていたのです

    そのとき、夢じいは気づきました。
    どんなレースでも、どんな人生でも、見てくれている人はいる。
    順位や成績ではなく、「その人なりのがんばり」を見てくれている目があるのだと

    人生にも、そんな「応援席」があります
    家族だったり、友人だったり、先生や先輩だったり。
    あるいは、ずっと前に出会った誰かかもしれません。

    そして、もうひとつ大切な「応援席」は、自分の中にもあるのです

    「今日の自分、よくがんばったな」――
    そう思える日があると、不思議と心が温かくなるのです。
    誰かから褒められなくても、自分の応援席が拍手を送ってくれている。
    そんな感覚です。

    若いころは、「誰が見てるんだろう?」「どう思われるんだろう?」と気にしていました。
    でも今は、「誰かは見てくれている」と信じるようにしています
    そして何より、「自分自身が見ている」ことを忘れないようにしています。

    あなたが今、どんな場所でどんな挑戦をしていたとしても、
    きっと誰かが見ています
    あなたの苦労や努力、迷いながら進む姿を、静かに応援している誰かが。

    それは、親かもしれません。
    友人かもしれません。
    あるいは、まだ出会っていない、未来のあなた自身かもしれません。

    だから、どうか途中であきらめずに、走ってみてください
    全力じゃなくても、ゆっくりでも、足を止めなければ、それで十分です

    ゴールしたとき、ふと応援席から拍手が聞こえるかもしれません。
    それは、あなたがあきらめずに走り抜けた証なのです

    夢じいの一言:

    走る速さより、走り続ける心を大切に。

    応援席で、夢じいはいつも拍手しています。


  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第三話~

    第三話:「負けたくない」より「やりきりたい」

    陸上でも仕事でも、「勝ちたい」「負けたくない」と思うのは自然なことです。

    でも、夢じいは今、「やりきること」を大切にしています

    高校時代、私はいつも「負けたくない」と思っていました

    勝ちたいというより、ビリになりたくない。

    だから無理をして、心も体も張りつめていました。

    でも、結果が出なければ落ち込み、人と比べて自分を責めてしまう。

    気づけば「勝てないなら、もうやめようか」と思うようになっていました。

    そんなとき、ある先輩が言ってくれたんです。

    「勝てるかどうかは、その日の相手しだい。

    でも、やりきれるかどうかは、自分次第だよ。」

    その言葉にハッとしました。

    それからは、結果よりも「やりきれたかどうか」に目を向けるようになりました。

    記録が悪くても、自分なりに全力を出せた日は、心がすがすがしかった。

    逆に、迷いながら走った日は、勝っても気持ちは晴れませんでした。

    この「やりきる」という感覚は、今の人生にもつながっています

    仕事も家庭も、趣味も人間関係も――

    比べるとキリがありません。

    でも、「自分なりにやってみた」と言える日があれば、心は軽くなります。

    たとえば、家庭菜園でできた少し不格好なトマト

    けれど、自分で育てたという満足感は、何物にも代えがたい

    たとえば、カラオケでうまく歌えなかったとしても、思い切り歌い切った後の爽快感

    誰かに勝つためじゃなく、自分が納得できるためにやる。

    それが夢じいの“今のチャレンジ”です

    若い頃は勝ち負けも大切。

    でも今は、「やりきる人生」のほうがずっと面白い

    どうかあなたも、比べず、焦らず、自分のペースで。

    やりきったと思える日を、一緒に積み重ねていきましょう

    夢じいの一言:

    勝つかどうかより、やりきれたかどうか。

    夢じいは、いつも“心のゴールテープ”を目指して走っています。」

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第二話~

    第二話:最後の一歩が踏み出せないあなたへ

    スタートラインに立ったとき、何を感じるでしょうか。

    私が高校生の頃、陸上の大会で一番怖かったのは、ピストルの音ではありませんでした。
    むしろ、スタートラインに立つまでの数分間。
    アップを終え、呼び出しがあり、ゼッケンを確認され、名前を呼ばれて、いよいよ自分のレーンに立たされる。


    他の選手たちは無言で集中していて、空気がぴんと張り詰めています。

    「緊張していないふり」をしながら、実は足が震えていたこともあります。
    隣の選手がやけに速そうに見えたり、自分だけ場違いなんじゃないかと感じたり。


    そんな不安と闘いながら、最後の一歩、つまり「スタート位置にしゃがみ込む瞬間」が、実は一番しんどかったのです。

    この「最後の一歩」。
    それは、日常生活の中でもよく訪れます。

    たとえば新しい趣味を始めようとする時。
    仕事を辞めて第二の人生を歩こうとする時。
    誰かに「ありがとう」や「ごめんね」を伝えようとする時。
    どれも、やると決めているのに、なかなかその一歩が出ない。

    でも、夢じいは思うのです。

    一歩を踏み出す勇気は、生まれつき持っている人だけの特権ではありません。
    それは「何度も震えながらでも一歩を出してきた経験」が、少しずつ心の中に残っていくものだと思っています。

    私も今では、「また走ってみようかな」と思えるようになりました。
    別に競技に出るわけではありません。ちょっとウォーキングをしたり、公園でストレッチをしたり。

    それだけでも、最初の一歩が大きく感じるのです。

    かつての私は、400メートルのレースの直前に、よくこう思っていました。

    「もうイヤだなあ。逃げたいなあ。でも、逃げたら自分がイヤになる」

    だから、スタートラインに立つのです。
    ビリになってもいい。途中で倒れてもいい。
    ただ、逃げないで、自分の足でスタートを切る。

    それは、誰のためでもなく、自分の心のためでした。

    最後の一歩が踏み出せないとき、思い出してみてください。
    その一歩の先には、必ず「何か」が待っています。

    それは結果かもしれませんし、達成感かもしれません。
    もしかしたら「なんだ、できるじゃないか」という小さな自信かもしれません。

    そして、それはあなた自身だけが得られる「ごほうび」です。

    夢じいは、これからも震えながら、笑いながら、踏み出していきたいと思っています。
    一緒に、一歩ずつ進んでいきませんか?

    夢じいの一言:

    今日の一歩は、小さくたっていいんです。大事なのは「しゃがんだ」先に進む道がある」と信じることですよ。

  • 夢じいの全力チャレンジ録 ~高校陸上部時代編 第一話~

    第一話:ビリでも、ビリらしくないビリになりましょう!

    陸上短距離の花形といえば、やっぱり100メートル走です。

    スタートのピストルが鳴って、バーン!と飛び出すと、あっという間にゴール。スピード、爆発力、華やかさ……どれを取ってもカッコイイ。誰だって一度は走ってみたくなる種目です。

    でも、この人気ぶりゆえに、高校の大会では出場制限がありました。一種目につき出場は3人まで。
    オリンピックでも同じですね。もし制限がなければ、柔道なんか日本が金・銀・銅を全部取っちゃいますから。

    さて、夢じいこと私も、部員が少ない年には100メートルに出てました。
    でも部員が増えると……ええ、人気のない種目にまわされるのが世の常。

    そうして私は、400メートル走を任されるようになりました。


    ここで言わせてください。

    400メートル走って、地味に見えて、実は地獄なんです。

    たまに「100メートルを4回やるだけでしょ?」なんて軽く言われますが、それ、大間違い。

    100メートルを全力で走ったことがある人なら分かると思います。
    あのスピードで400メートル走るなんて、無謀です。無理ゲーです。


    じゃあ、どう走るのか。

    前半から突っ込むのか、後半に体力を残すのか、それともペースを均等に保つのか……。
    走り方は十人十色。

    でも、これは単なる体力勝負じゃありません。

    「自分に向き合う競技」なんです。走りながら、いや、走る前から自分との対話が始まってるんです。


    ちなみに私は、100メートルの終盤でスピードが落ちるタイプでした。
    つまり、理論的には400メートルに不向き。なかなかの不適合者です。

    でもね、「向いてない」なんて言ってしまうと、もう面白くもなんともない。

    むしろ「どうすれば自分らしい走りができるか?」と工夫するほうが楽しいじゃありませんか。


    試行錯誤の末、私は「前半型」に決めました。

    200メートルくらいまではトップ集団にくっついていく。
    そのあとは……もう歯を食いしばって、ゴールを目指すだけ!

    当然、代償もあります。

    レース後は、1ミリも動けません。ほんとに。


    係員に「次のレースがあるので移動してください」と言われても、しばらくコースに這いつくばってるしかないんです。


    でもね、それでもよかった。

    順位も、タイムも二の次。
    何より、「やりきった!」という満足感があったんです。

    この達成感こそが、私の中では立派な“金メダル”でした。


    人生だって、きっと同じです。

    ずっとビリばかりじゃ、そりゃしんどい。
    でも、「これは自分なりに頑張った」と胸を張れることがあるなら、それで十分じゃないですか。

    どうせビリになるなら、せめて**“ビリらしくないビリ”**を目指しましょうよ。

    ゴールしたあとにもう動けないくらい、本気で走る。
    その姿勢が、あなた自身にしか贈れない、特別な金メダルになるはずです。


    夢じいの一言:

    人生の順位はつけられなくても、「全力出し切ったかどうか」は、自分だけが知っている。
    それが本当の勝ちだと思いませんか?