※長嶋茂雄さんの訃報を受けて、夢じいが心に浮かんだ思いを、自身の記憶とともに綴ったエピソードです。

(あの頃の夢じいの心を、そっと表現しています)
えっ、長嶋さんが…。
一瞬、言葉を失いました。
テレビをつけると、長嶋茂雄さんが亡くなられたというニュースが流れていました。
信じたくない。いや、信じられない。
でも、画面を見つめながら、静かに涙がこぼれていました。
夢じいが野球を始めたのは、小学生の頃。
そのきっかけは、テレビの中で躍動する長嶋茂雄さんのプレーでした。
ただ野球がやりたいのではなく、**「長嶋茂雄になりたい」**と本気で思った。
長嶋さんの打つ姿、走る姿、守る姿…すべてがかっこよくて、まぶしかった。
実は夢じいにも、長嶋さんへの憧れがそのまま表れた“あのとき”がありました。
チームに入ったばかりの頃、監督に言ったんです。
「サードを守りたいんですけど」って。
監督はちょっと絶句して「えっ、夢じいが…」と。
無理もありません。夢じいは左利き。
左利きのサードなんて、聞いたことがない。
でも、監督は笑顔で「じゃあ、テストしてみよう」と言ってくれました。
左右の打球は何とかかっこよく取れたんです。
でも、真正面の打球が飛んできたとき、思わず叫んでしまった。
「うわーっ!」と。
怖くて目をそらしてしまい、捕れなかった。
そのとき監督が言ってくれたんです。
「夢じいには、やはり打つ方で頑張ってほしい」
優しく、でも少年の心にまっすぐ響くひと言でした。
この話は、監督と夢じいだけが知っている、ちょっとした秘密だったんです。
そのとき、「長嶋茂雄になる」夢はそっと閉じました。
でも、「野球選手になる」夢はむしろ強くなりました。
華はなくても、努力と根性で自分なりに輝きたい。そんな気持ちでした。
時が経っても、夢じいの心の中にはいつも長嶋さんがいました。
現役を引退され、監督としてユニフォームを着た長嶋さん。
打つ、走る、守る。
そして采配も、すべてに魅せられました。
「長嶋茂雄が9人いれば、それだけでいい」──
そんな言葉を誰かが実際に言ったわけではありません。
でも、それくらい長嶋さんを思い、全力で応えようとする選手たちがいたら、
きっと長嶋監督はもっと自由で、もっと面白い野球を見せてくれたに違いありません。
どんなに無理そうに見える場面でも、絶対にあきらめない心。
自分自身にも、選手たちにも言い聞かせ、
時に奇跡のような瞬間を生み出す力。
それが、長嶋茂雄さんという人でした。
監督を引退された後、病に倒れられたこともありました。
スーパースターだからこそ、人前に出ることをためらわれたこともあったかもしれません。
でも、長嶋さんは多くの人々の前に立ち、
リハビリを続けながら、懸命に歩き、時に言葉を絞り出して、
「頑張ること」の意味を、全身で私たちに伝えてくれました。
身体は思うように動かなくても、
言葉は以前ほど滑らかではなくても、
その発信力は以前にも増して力強かった。
最近では、メディアで長嶋さんの姿を見かけることは少なくなっていました。
そして今、もうそのお姿を新たに目にすることは叶いません。
けれども、夢じいの心の中には、今もずっと生きています。
少年時代、憧れて、真似して、
そして、自分自身の夢を重ねてきた人。
夢じいも、もちろんミスターにはなれないけれど、
ブログという小さな舞台から、
誰か一人にでも「力」や「勇気」を届けていきたい。

それが、夢じいなりの恩返しです。
長嶋さん、本当にありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。
夢じいの一言:
「夢は叶わなくても、憧れは人生を導いてくれる。
長嶋さん、本当にありがとうございました。」